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数学できないから暗記で受験を乗り切ったド文系が社会で味わった挫折

社会に出てから数学を使う人なんてほんの一握りなんだから、数学なんか勉強しなくて良いじゃん、と思っていました。

いちおう受験で使うから数学ⅡBまでやったけど、数学はパターンで覚える暗記科目の扱いでした。

仕事とか日常生活で高校数学の知識を使うシーンは一切なかったけど、数学をちゃんとやってなかったせいで挫折を味わったので、私の体験談と数学を学ぶ意味について考えたことを書いておきたいと思います。

数学は小手先の暗記で切り抜けていた8割の人間です

HUFFPOSTに、こんな投稿がありました。

パズルみたくやり方覚えて問題を解くのは、みんなできるんですよ。でも、概念が理解できる人はごく少数。偏差値60の勉強ができる学校でこれなのですから、おそらく人類の大半は(少なくとも今の学校教育のカリキュラムでは)三角関数を理解できないんだと思います。

理解できないモノを短期間で教えて、やっぱり理解できないで、落ちこぼれる。もしくは、小手先の暗記で切り抜ける。これって、教育の意味なくないですか?

引用:日本人全員に三角関数を教える必要がない2つの理由|HUFFPOST

人類の大半—これは高校生の私もそうだった、と思いました。

数学は暗記科目である

私にとっての数学は、暗記科目でした。

数字のセンスがまるでない私は、繰り上がり・繰り下がりのある足し算・引き算も2桁+2桁以上になると暗算できません。

だから、将棋は多少できるけど、計算が必要な囲碁や麻雀はまるでダメ。

一応ルールは覚えて遊ぶことはできるんだけど、パッパッと足し算引き算ができないんです。

囲碁は自分が勝ってるのか負けてるのか最後に数えるまで分からないし、麻雀だと「ハネツモか満貫直撃で逆転トップ」みたいな細かい計算ができず、微妙に足りなくて2着上がりしちゃったりする。

でも、記憶力は人並みにあったので、受験の数学は教科書・参考書をゴリゴリ暗記する、という手法を取りました。

  1. 例題と解法パターンをひたすら丸暗記して、試験で同じようなのが出たら当てはめて解く。
  2. 初見の問題が出たら、考えても分からないので一切時間を掛けずに捨てる。

これだけでセンター試験で7割取り、国立大文系の二次試験も突破できました。

ちなみに、他の教科もけっこう暗記ゴリ押しでした。

たとえば歴史の並べ替え問題。

あれって本来は、出来事の背景とか前後関係を理解しているかどうかを問う問題だと思うんですけど、私は年号をゴロ合わせで暗記し、機械的に並べ替えて解いてました。

「これは西暦何年、こっちは何年だから、こうか…」と。

こんな面倒くさいことをやってるのは自分だけかと思ってましたが、なんと源氏物語と現代語訳を丸暗記した、という猛者を発見!!

僕は年末年始のほとんどを使い、ひたすら源氏物語の原文と訳文を同時に覚えていった。

そして、ようやく入試当日の1週間前、400ページの分厚い参考書に左右対訳形式で記された原文と訳文を、すべて覚えることに成功したのである。原文を見ただけで、瞬時に訳文がすらすら書けるレベルにまでなっていた。
(中略)
入試の当日になった。

最初の科目は国語だった。「始め!」の合図と共に問題用紙を開いた僕は、真っ先に古文の問題を見た。次の瞬間、「よしっ!」と机の下で小さくガッツポーズをした。

出題されていたのは源氏物語。しかも、訳文を丸暗記した「藤壺」のくだりだった。原文も完全に覚えていたので、現代語訳を書けという問題だけでなく、「カッコに入る文字を書きなさい」といった問題にも対応できた。たぶん、古文は満点に違いなかった。
引用:奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第13回】『源氏物語』の暗記にチャレンジした受験生時代|現代ビジネス

苦手な教科は暗記でゴリ押し、これは受験の知恵ですね。

三角関数も源氏物語も、受験に必要なだけで社会に出たら必要がないんだから、それでいいじゃないか…と、思っていました。

ところが、「理解していないのに暗記でゴリ押し式」しか知らなかったは、社会に出てから挫折を味わいました。

数学ができないんじゃない、深く考えられないんだ。

私は学校の勉強も素直に覚えましたが、仕事も素直に言われたとおりに覚えるタイプでした。

ルールに忠実で、上司には刃向かわないイエスマンなので、就職して最初の1年ぐらいは「飲み込みが早い」「期待通りにやってくれる」と褒められ、かわいがられました。

雲行きがおかしくなったのは、複数の視点をマネジメントする管理職に抜擢されてからでした。

管理職になって行き詰まる

新人のときは、言われたことをその通りにやれば良かったのに、「店舗の売り上げを増やす」という答えのない仕事を任されて、私はどうしたら良いか分からなくなったのです。

一応、ビジネス書を読んで勉強してはみました。

しかし、

  • 課題を発見する
  • 課題を解決するための適切な手段を考える
  • PDCAを回す

のように「自分で考えてやってみること」は、今までやったことがなく、未知の世界でした。

「ああしろ、こうしろ」と言われさえすれば、それを実行することはできるんです。

でも、「何をしたらいいか」「どうしたらできるか」を自分なりに考えるということが出来なかったのです。

私は結果を出せないまま、逃げるように会社をやめました。

独立して味わった無力さ

マネジメントとか無理だけど、自分の腕一本でできるフリーランスの仕事なら気楽で良いんじゃないかと思い、(あと、お金も良さそうだったので)、私はフリーのWebライターになりました。

が、また会社員時代と同じようなことになります。

いろいろ注文を付けてもらえば、その通りに書くことはできますが、自分で考えて「こんな風にするといいですよ」と提案することができなかったのです。

だから、フリーランスなんだけど、言われたことをこなすだけの御用聞きみたいになって、会社員1年目に戻ったような感覚でした。

受験とか就職ぐらいまでは「こうしたら良いよ」っていうレールができていたからそこを進んでいけば良かったけれど、自由にしてよくなっても結局、同じところをぐるぐる回っているだけでした。

ビジネスにも人生にも、答えが書いてある参考書はありません。

数学を暗記で解く人の特徴

私のように、自分で考えることができない、数学を丸暗記しちゃうひとには、こんな特徴があるなーというのをリストアップしてみました。

プロセスよりも結論を先に求める

考えるのが面倒なので、手っ取り早く回答を求めます。

  • ゲームで遊ぶ前から攻略本を読む
  • ミステリの結末からチェックする
  • スポーツは録画して結果が分かってから見る
  • 映画はネタバレを読んでから見る
  • あちこち自分で店を開拓するより評判をチェックする

答えのない問いは考える気がしない

そもそも答えが出ない問いについては、考えるのが苦手で放棄しがちです。

人生について深く考えたり、哲学したりするのは面倒。わざわざ内省することもありません。

そういうことを考えてる人がいるのを初めて知ったとき、カルチャーショックでした。

抽象度の高い芸術が分からない

ちょっと考えさせられるような、抽象度の高い芸術も苦手です。

たとえば映画だったら、アクションとか、ラブコメとか、は楽しんで見られるけど、

  • それが何のメタファーでどう諷刺してるのか
  • 監督は何を考えて撮ったのか
  • なぜこの時代にヒットしてるのか

…とか、深いところまでは考えません。

映画の評論なんかを読むと、そんな深読みすんのか!とびっくりしちゃいます。

自分なりに工夫・研究ができない

マニュアルをあてがわれればそれなりにできるけど、自分で研究・工夫して法則を見つけたり、ノウハウを作ったりするのは苦手です。

noteに書けないプログラマへのダメだし記事がありましたが、これも根本的には「自分で考えられない」人たちなのだと思います。

彼らは関数ひとつひとつについて「新しく原理を学習」していたのだ。マジかよ……。どうやったらそんな発想に行き着くんだろう。そりゃ時間かかるわな。

そのため、関数が値を返す(または返さない)ということも理解できておらず、「関数の戻り値と関数の戻り値を足す」とか「関数の引数に関数の戻り値を直接渡す」とかやりだすと大パニックになる。

引用:お前は絶望的にプログラミングに向いてないから諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事でもやってろ

私はプログラミングの授業は友達にご飯をおごって課題を全部やってもらったので、専門的なことは何一つ分からないけれど、プログラミングができない人たちの思考パターンは痛いほど分かります。

理解できないから、1個1個パターンで学習して当てはめるしかなくて、イレギュラーや応用になるとパニックになるのです。

刺身にタンポポを乗せるような頭を使わない単純労働は、割とガチで向いてる気がする。

マニュアルやルールが無いと不安

パターンが分からないと何も出来ないので、マニュアルやルールは大好きです。

何でもしていいよ、と放り出されると不安でしかありません。

自由が怖い!

新しい物を作り出せない

だから、ルールを破ったり、新しいルールを作ったりすることができず、クリエイティビティに欠けます。

今までに無かったことが出来る人、たとえばゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんなんかは、エアーバンドという全く新しいジャンルを切り開いた天才だと思います。

自分でそういうことが出来ない人は、モーツァルトをたたえるサリエリのごとく、ただ「スゲー!」と憧れるばかりです。

文章を書くのが苦手

自分で考えられない人は、文章も書けません。

いや、パターンの決まった実用文とか、情報をまとめたレポートとかは書けます。

自分で考えないといけない感想やオピニオン系はからきしダメ。卒論も地獄。

「使われる」ことに最適化された人

じゃあ、自分で考えられない人がダメなのかというと、そんなこともないと思います。

みんながルールから逸脱してクリエイティブにやってたら、市役所とか自由すぎてどうなっちゃうか分かりません。

それに、言われたとおりの単純労働に従事する人も世の中には必要ですから、退屈に耐えられるっていうのもある意味才能だと言えます。

自分で考えられないけど覚えて出来る、という秀才的な人は、「人から使われる」ことに特化している人々なのです。

なぜ社会で使わない数学を学校で教えるのか?

これらをふまえて、なぜ数学を学ぶのか、数学を学校で教える意味を考えてみましょう。

結論から言うと、数学は「抽象的なことを自分で考えるトレーニング」として必要なのだと思います。

中学・高校の数学は抽象思考トレーニングである

小学校の算数を思い出してください。

りんごが3つ、バナナが2つ、あわせていくつでしょう?

おはじきをつかって解きましたね。

これ、実は頭の中では「抽象化」という、すごいことが行われているのです。

りんごが3つ、というとき「ここにあるフジリンゴ」とか「ジョナゴールドのちょっと小さいの」とか具体的な情報はそぎ落とされ、「りんご」という概念になります。

微妙に15グラムとか重さが違っても1つは1つと数え、乱暴にも、色も形も違うバナナも同じく1つとして数え、合計してしまうのです。

私たちが現実にスーパーでお買い物をするときもそうですね。

豚バラに小松菜、サランラップといった全く違う特徴を持ったものが、レジでは

レジの人
レジの人
「1点…、1点…、12点で2千701円です」

のように数として合計されてしまいます。抽象化すると計算に都合がいいからですね。

そこにあるのは小松菜や豚バラであって、「1」か「12」という数は存在しない、抽象的な概念です。

このように、無いものを在ると見立てる「抽象的な思考」を練習するのが、数学の授業なのです。

抽象思考ができるとどんなメリットがあるのか、成長の段階に沿って解説しましょう。

抽象思考の成長5段階

抽象思考はこんな段階をたどって成長していきます。

抽象思考レベル

レベル1 何も知らない
レベル2 言葉を知ってるけど使えない
レベル3 言葉を知っていて一定条件下では使えるが、意味は分からない
レベル4 意味を理解して使いこなせる
レベル5 体得し、自分なりに研究・発展させられる

レベル1 何も知らない

ヘレンケラーが「水」という言葉を知って初めて水の存在そ知ったのといっしょで、存在はあるのに言葉を知らないために見えていない状態です。

土地の測量や、大工仕事、電気関係の仕事など、街中でも三角関数が使われているらしいのですが、概念を知らないと存在にも気づきません。

建具屋の職人さんでも、概念を知らずに経験・試行錯誤で加工をしている人もいるらしい。

知らなければ、当然使うこともできません。

レベル2 言葉を知ってるけど使えない

その次が「知ってはいるけど使えない」の段階です。

「おまえら、今日から三角関数だぞー」って言う先生の授業を聞いて、なんか三角関数とやらを勉強してるんだな、レベル。

「三角関数」という言葉は知ってるので、言われれば「ああ、あれね」とはなるけれど、なんだかよく分からないし、問題を解くこともできない。

平均的な、数学が苦手で成績悪い人ってこんな感じ。

一般人にとっての「相対性理論」みたいなもんですね。

「ああ、相対性理論ね、あれでしょ」って、アインシュタインがベーしてる写真とか映画『インターステラー』を思い浮かべたりはするけれど、なんだか良く分かってないし計算なんか出来ないですよね。

レベル3 言葉を知っていて一定条件下では使えるが、意味は分からない

もうちょっと勉強すると、意味が分からなくても暗記して、一定の条件下では使えるようになります。

私も、正弦定理が何なのかさっぱりわからないけど、「咲いたコスモス、コスモス咲いた」で正弦定理公式をゴリゴリ暗記し、教科書の例題は章末問題など特定の条件下では当てはめて解けた、というクチです。

しかし、意味を理解していないので、知らないパターンの応用問題は出来ません。

「中国語の部屋」の話と一緒ですね。

思考実験の概要

ある小部屋の中に、アルファベットしか理解できない人を閉じこめておく(例えば英国人)。

この小部屋には外部と紙きれのやりとりをするための小さい穴がひとつ空いており、この穴を通して英国人に1枚の紙きれが差し入れられる。

そこには彼が見たこともない文字が並んでいる。これは漢字の並びなのだが、英国人の彼にしてみれば、それは「★△◎∇☆□」といった記号の羅列にしか見えない。

彼の仕事はこの記号の列に対して、新たな記号を書き加えてから、紙きれを外に返すことである。

どういう記号の列に、どういう記号を付け加えればいいのか、それは部屋の中にある1冊のマニュアルの中に全て書かれている。

例えば”「★△◎∇☆□」と書かれた紙片には「■@◎∇」と書き加えてから外に出せ”などと書かれている。

彼はこの作業をただひたすら繰り返す。

外から記号の羅列された紙きれを受け取り(実は部屋の外ではこの紙きれを”質問”と呼んでいる)、それに新たな記号を付け加えて外に返す(こちらの方は”回答”と呼ばれている)。

すると、部屋の外にいる人間は「この小部屋の中には中国語を理解している人がいる」と考える。

しかしながら、小部屋の中には英国人がいるだけである。彼は全く漢字が読めず、作業の意味を全く理解しないまま、ただマニュアルどおりの作業を繰り返しているだけである。

それでも部屋の外部から見ると、中国語による対話が成立している。

引用:中国語の部屋|Wikipedia

答案は成立しているんだけれど、作業の意味を理解していない受験数学は、まさに中国語の部屋!虚無オブ虚無!!

地頭はよくないけど、勉強を頑張ってる普通の人たちは大抵こうなります。

レベル4 意味を理解して使いこなせる

そうじゃなくて、本当に意味を理解して使いこなせる段階まで進めるのはごく一部のエリートさんたちです。

数学が得意で、公式なんか自分で導けば良いじゃんって言う人。

はてな匿名ダイアリーには、こんな投稿がありました。

中学高校時代からずっと思っていたことだけど「公式を覚える」という言葉を聞くたび「なんでそんなことするんだろう」と思っていた。

しかもこれがどうもポピュラーな学習法であることに疑問を感じている。

公式って「そういう計算いっぱいあってめんどくさいだろうから一般化しといてやったぞ」ってやつで、知っとくと早く解けて便利だけど別に知らなくてもがんばれば解けるわけだから、公式を教えられると「そりゃそうなるだろ」ってなってたし、「そりゃそうだろ」ってならないときは「なんでそうなるんだ」って感じでイライラしながら証明してた。

それでほぼスッキリして、腑に落ちないところだけ教師に聞いていた。
(中略)
話が広がりすぎてしまったけど、ともかく他の分野の話は置いといて、それで中学高校数学での「公式を覚える」っていう言葉は、なんか違うじゃん。

覚えることが良くないわけじゃない。わかった上でサッと解けるようになるためにせっせと使っていく行為も「公式を覚える」ことの1つなんだろうけど、文脈として使われてるのは「よくわかんないけど覚えて使えばクリアできる」というのが多いと思う。

引用:数学で「公式を覚える」という言葉に抵抗がある

はい、耳が痛いです。

私自身も「よくわかんないけど覚えて使えばクリアできる」で数学を乗り越えきて、塾で働いてときに数学苦手な子にそういう風に邪道を教えてしまった。

でも、そうでもしないと赤点になっちゃうんだ。

三角関数が無理な数学嫌いの文系ピーポーでも、「%」ぐらいだったら理解して使いこなせている人が多いと思う。

税率や割引の計算とか、日常でよく使いますからね。

しかし、「税込み価格から税抜き価格を求めるには、税率1.08で割ればいい」までは理解していない人は結構いるから怪しいかも。

レベル5 体得し、自分なりに研究・発展させられる

更に抽象度のレベルが上がると、新たな法則を自分で発見したり、自分なりに研究して概念を発展させたりできるようになります。

ここまで行くのは大学の数学科で研究する人とか、仕事上で自分なりに応用する人ぐらいでしょうか。

レベル4と5の間には、結構な差があります。

例えるなら、詰め将棋が解ける人と詰め将棋を作れる人の違いに近く、自分で創り出せるかどうか、クリエイティビティがあるかどうかの違いです。

指導要領が目指すのはレベル5だが、現場ではレベル2〜3
がやっと

では、日本の学校教育は従順なサラリーマンや工場労働者を量産するためにわざと詰め込み教育をしているのか?!というと建前上はそんな意図はないようです。

学習指導要領を見ると、けっこうエリート教育を理想に掲げている雰囲気なんですよ。

学校教育には,子供たちが様々な変化に積極的に向き合い, 他者と協働して課題を解決していくことや,様々な情報を見極め,知識の概念的な理解を 実現し,情報を再構成するなどして新たな価値につなげていくこと,複雑な状況変化の中 で目的を再構築することができるようにすることが求められている。

引用:高等学校学習指導要領解説 数学編より

「知識の概念的な理解」や「情報を再構成するなどして新たな価値につなげていく」などは、まさに抽象レベル5の話ですね。

だけど実際は、よほどの進学校以外の多くの学校現場では、レベル2とか3に上げるので精一杯なんじゃないかな。

私も高校は偏差値53のところだったし、教育実習とか塾で生徒から聞く話とか、元教員の友達から聞く話を総合すると、まあ大変そうです。

  • やる気のない生徒にいかに数学に興味を持ってもらい、寝ないで授業を聞いてもらうかに先生たちは腐心し、目が覚めるような面白い小話を準備している。
  • 赤点を取らずに進級してもらうために、「独り言だからなー」とテストの答えを前もって全部教えて覚えさせたり、分からなくても点が取れるように定期テストを全部選択式問題にする先生もいる。
  • 生徒は生徒で、苦手な数学だけど受験をなんとかしようと暗記芸に走る。

こういう、涙ぐましい努力をしてるんです…。

抽象度の評価は難しい

現場に抽象思考の教育が浸透しない理由のひとつには、評価が難しいことも考えられます。

たとえば、難しい記述式の問題を、途中式や考え方まで完璧に解いた生徒がいたとしましょう。

その子が自分で考えて理解してその答えにたどり着いたのか、どこかの参考書から丸暗記して持ってきたのか、どうやって見分けられるでしょう?

答案だけでは分かりませんね。

自分で考える力を答案で評価するには、どの参考書にも載っていない応用問題を作ったり、引っかけ問題にしたりするぐらいでしょうか。

それだと記述式でプロセスを見ながら丁寧に採点が必要だし、独自の問題を作る方も力量が要るし、先生たちはテスト作るの大変だろうなと想像します。

分からなくて白紙で提出する子た大多数だろうけど、どういう思考で白紙になったのかは人それぞれで、定量評価は困難です。

少なくとも、今の超激務の学校の先生たちにそこまでやってくれとは、部外者の私からはとてもじゃないけど言えません。

そして、多くの勉強嫌いの子供たちも、そういうのは望んでいない。

適当に楽しく授業を受けられればいいし、難しいことを考えるよりも手っ取り早くテストで点が取れる方法を知りたいのが本音だから。

学校の勉強で抽象レベルを上げることが大切だったと気づくのは社会に出て挫折を味わってからなのです。気づかないまま一生を終わる人さえ、いるかもしれない。

抽象度の高い子供は学校になじめない

逆に、自分で考える力のある抽象度の高い子供は、そもそも一方的に教えられる学校のスタイルになじめなかったり、テストに評価が表れなかったりするケースもあるようです。

学校って、私には難しいことだらけだったんです。

時間割にそって、黒板とノートに向き合い続ける作業が1年で限界だったんでしょうね。

小学2年生になる頃には、学校に行けない日が増えはじめました。
(中略)
色んなことに疑問を持ってしまう性格だったんです。

例えば勉強する必要性がまったく理解できなくて。

三角形の面積を求める“底辺×高さ÷2”を知ったところで、何の意味があるの?って、そんなこと一つでもとても悩みました。
引用:私はひきこもりだった。今でも人と関わるのは怖いけど、人との出会いは悪いものじゃないって思うんです。ひきこもりUX会議・恩田夏絵さん

いろんなことに疑問を持って考えられるって、ビジネスに必要なスキルだし、すごい才能だと思います。

私なんか、何も考えずに「テーヘンカケルタカサワルニ、テーヘンカケルタカサワルニ」ってバカみたいに暗記してたから。

でも、そういう尖った才能を持った人は、残念ながら学校では潰されちゃうんですね。

抽象度が高すぎるせいで学校の授業に興味が持てず成績ダメだったという人が、社会に出てからビジネスで成功した例がいっぱいあるのは、こういうワケなんじゃないかと思います。

自分で考えられる子供が伸び伸び勉強するには、集団授業よりも個別指導が合います。

とことん疑問を追求して、興味のあることを深めていけば、すごい伸びるはず。

しかし、そこまでケアするリソースは学校にはないので、良い塾とか家庭教師に出会えたら良いねと祈るばかりです。

だから、気づいたら自分で学ぼう

じゃあ、どうすれば良いのか?

学生さんでも社会人でも、気づいた瞬間から、自分で考える練習をして抽象レベルを上げていくことだと思います。

今さら三角関数をやるのはちょっと…と思われるでしょうけれど、思考の抽象レベルは、数学じゃなくてもどんなことでも伸ばすことができます。

プログラミングでもいいし、ビジネスやスポーツ、工作、何でも良いから「自分なりに考えて切り開く経験」を積むのが、抽象思考のトレーニングになります。

私の場合は「ブログ」でした。

作る側になるにには「自分で考える」が必須

私はライターとして、人から頼まれた記事を書くのを生業にしていました。

ですが、ある人のススメで、自分のブログを作ってみることにしました。

自分のブログをいくら書いたって誰も原稿料は払ってくれないんですが、ブログに読者が集まればライターとして自分を売り出したり、セミナーやイベントの集客をしたり、または広告ビジネスもできるから、と。

それこそ、答えのないものをゼロから自分で考え、工夫して作っていく作業でした。

「ブログで成功するには、こうするべし」みたいなマニュアル本はいっぱいあるし、ネットの情報も多数在ります。

しかし、割とみんなバラバラなことを言っているので、どれが正しいのかは自分で考えないといけませんでした。

数学で言ったら、矛盾する公式や定理がいっぱいあって、解法もいっぱいありすぎてどれを覚えたら良いのかわからん!って感じでしょうか。

そもそも、何を書いたら良いのかも分からないし、1歩先も見えない暗闇を手探りで歩いて行くような心持ちでした。

ゼロから自分で作る面白さ

それでも、思い切って踏み出してみたら意外な面白さに気がつきました。

ブログで難しいことのひとつに、「HTML」というものがあります。

HTMLとは、Hyper Text Markup Language(ハイパーテキスト・マークアップ・ランゲージ)の略で、Webページを作るための最も基本的なマークアップ言語のひとつです。

引用:今さら聞けない!HTMLとは【初心者向け】

説明がもう意味不明なんですが、これが分かってないとホームページが作れませんよ〜っていうやつです。はい。

こういうの

htmlとは

人の原稿を書くときにはワードとかテキストファイルで良かったんですが、自分でブログを書いて編集するとなると、多少はHTMLの知識が必要です。

最初は、ある程度できてるテンプレートを使ってアレンジしてみようと思ったのですが、何がどうなってるのか分からないと怖くて触れませんでした。

また、何か変になっちゃったときに自分で直せなかったり、デザインをカスタマイズできなかったりして不便です。

マニュアルとか、解説サイトもあるのでコピペである程度は行けますが、すぐアップデートされて画面が変わっちゃうから役に立たないことも多いんですね。

それで、分かる人にイチから教わって、HTML手打ちで手作りサイトを作ってみることにしました。

ちゃんと自分で理解ないと使えないな、と思ったからです。

面倒でしたが、メモ帳で書いた文字列が、ブラウザで開くとちゃんと見出しとか図形とかの形になたときは、感動しました。

数学が面白い人とか、プログラミングが面白い人も、きっとこういう感覚なのかな?ってちょっとだけ分かりました。

練習したおかげで、コピペしていた頃には見えていなかった、1個1個のHTMLの文字列の意味がちゃんと分かって、使いこなせるようになりました。

研究するレベル5までは行けませんでしたが、分かって使えるレベル4の最低ラインまでは行けた気がします。

公式を自分で発見し、証明し、応用する

ブログのコンテンツづくりも、自分で考えて抽象度を上げる練習になりました。

上手く行っているブログ、流行っているブログにはどんな法則があるのか?と考えるのは、数学で公式や定理を求めるのに似ています。

こんなネタが受けるのかな? 検索されるにはどうしたらいいのかな?

いろんな分からないことについて、1個1個、自分なりに仮説を立てて、マネして再現し、検証していきます。

上手く行けばどんどん使って体得し、応用して発展させていく。

やっているうちに、自分なりのコツやノウハウのようなものも出来てきて、ブログのアクセスを増やせるようになりました。

そして、その過程はとても面白かったのです。

ちょっとタイトルを変えたら、アクセスが10倍以上に増えたり、ぜんぜん狙っていない適当な記事がなぜかバズったりしたこともあります。

読者さんから感想をいただいたり、ブログを見てお客さんになってくれる人がいたり、という結果ももちろん嬉しいのですが、いろいろ考えて工夫するプロセスも楽しめるようになったんですね。

ブログに正解はないし、これでパーフェクトっていう終わりもないので、今も研究史続けている途中です。

たくさん失敗もあったけれど、トライアンドエラーを繰り返していろいろ考えたからこそ血肉になって、「レベル3 知ってて使えるけど理解できてない」を抜け出して、抽象レベルを上げられたのだと思います。

数学出来ない人まとめ

良く分からない難しいことを考えさせようとすると、頭の悪い私のような人はどうしても暗記でカバーせざるを得ない受験事情があります。

数学が面白くて、夢中になれる人はそれをやったらいいけど、数学じゃない何か別のことで思考の抽象度を伸ばしても良いと、私は思います。

ルールやコンテンツを与えられる側から、自分で考えて創り出す側になれる何かがあるといいかもしれない。

夏休みの自由研究みたいに、それは自分の好きなこと・興味のあることが一番!

ブログでもプログラミングでもいいし、料理、ハンドクラフト、動画配信、作曲、絵・イラスト、ファッション、魚の研究…etc.なんでもオッケーです。

1個でも突き詰めてレベル5を持っていれば、仕事とか何かに新しく取り組むときも抽象度を上げやすいと思います。

作る側になると、楽しいことがいっぱい増えますよ!

私が考えて成長できるきっかけになったブログ、ビジネスやってない人にもみんなにおすすめなので、良かったら以下の記事も合わせて読んでみてください。

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視点が変わる!おすすめメールマガジン

ここまでお読みいただきありがとうございます!

申し遅れました、高橋久美と申します。

一人でも多くの方に新しい視点や考え方を知っていただき、心が軽くなったり、悩みが勝手に解決したり、人生をもっと楽しんでもらえたらいいな、と思いこのブログを書いています。

私はほんの3年前ぐらいまで、真っ暗闇のどん底の中にいました。

信じていた人に見捨てられ、寂しさを紛らわすように刺激的なゲームやネットの掲示板や動画を見まくり、一食にご飯を2合食べるほどの過食も止まらず、コンビニの袋だらけでゴミ屋敷寸前。

外では元気に働いて大勢の人と一緒にいても、誰も本当の自分を分かってくれない孤独感を味わい、人と比べては「自分はダメだ」と落ち込む日々でした。

ところが、私の先生であり、最も頼れる友人でもある佐藤想一郎そういちろうさんに出会って、人生が全く逆の方向に回り出します。

本当に20代?!と思うぐらいの豊富な知識だけでなく、一本軸の通った生き方、常識に囚われない柔軟な考え方、そして「みんなに良くなってほしい、成長してほしい」と本気で願う情熱と圧倒的な行動に触れて、私の世界は今までと全く違う景色に変わっていったのです。

今はだいぶ健康的な生活に変わり、本音を言える信頼できる仲間がいて、情熱を持って打ち込める仕事もあって、まだまだなところもあるけれど前向きに進んで行こうと思えるメンタルも育ちました。

想一郎さんのメールマガジンには、人生の壁を乗り越えるヒントがいっぱい詰まっていて、読むだけでも毎日にちょっと幸せを感じられるような温かさがあります。

人生の流れを変えたい! 成長したい!と少しでも思われている人は、ぜひ一度読んでみてください。オススメです!

 

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